僕の物語

おはようございます、中阪です
今日は1.17
阪神淡路大震災があってから22年が
経ったのですね
「もし、あの震災がなかったら。。。」
そんなことを何度も考えました
でも、今があるのは
やっぱりあのことがあったからなんだと
思えるようになりました
強く生きる。ここで生きる
ここのみんなと生きる
だから、この地域を良くしていきたい
それが僕の。。。
なんだろ?使命というか
価値観というか
いい言葉が出てこないなぁ
別にかっこよく
言いたいわけじゃないんですよね
そんな軽いもんでもないし
「やりがい」
「人生の目標」
なんかそんな感じ!
それが僕の中に芽生えたのは
まさに22年前の今日
あの震災がきっかけだったんです

【質問】中華と言えば何を連想しますか?
八宝菜?酢豚?はたまたフカヒレスープ?
ひとによって様々だと思います
でもうちに来て
僕が個人として
あなたに一度食べてもらいたいのは
うちの焼きそば  なんです
「なんで焼きそば!?」
ほかにもメニューいっぱいあるやろうに!
なんでそんな
どこにでもあるようなもんを看板に持ってくるのか?
そこにはこんな思いがあるんです


今日、阪神淡路大震災から22年が過ぎました
僕もまたあの震災で大きく生き方が変わった1人
当時僕はアパレル会社に勤めていました
中国の寧波というところで駐在員として
工場の生産と品質管理をまかされてたんです


一日に何十万枚という商品が出来上がってきて
それを見て回るわけですからまぁ~大変
納期が迫ると夜通しフル稼働するので
こっちも徹夜です
それでも仕事は大変だったけど
とてもやりがいのある仕事でした

 

1.17日
いつも通り出勤して
いつも通り本社からの電話をうけて

 

でもこの日にかかってくる電話の内容は
いつも通りじゃありませんでした

 

「神戸が大変なことになってるぞ」

 

とは言え、当時そこは中国の片田舎
まだ田んぼ耕すのに水牛が登場してるような場所
日本のテレビなんか映りません

 

僕が耳にするのは
国際電話で短いやりとりの中
すさまじく増えてくる死者の数

 

「こらあかん、お前一回帰ってこい」
上司の一言で私は
とにかく日本に帰ることになったのです

 

会社からいただいた物資を乗せ
バンにスクーターを入れて

 

交通情報を聞きながら
山手から神戸に入る

 

もうすぐ神戸だというのに
山側ではまだパチンコ屋が開いてました

 

「なんや別にたいしたことないんかな」

 

そう思いながらトンネルを抜けた先
広がってた光景は今でも目に焼き付いてます

 

「これが神戸?これが日本?」

 

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そこから先はもう道路がぐちゃぐちゃで車も通れません
そこでようやくスクーターを積んでた訳が
よくわかりました

 

変わり果てた街並みを見ながら
到着した我が家
その時に僕をみて母が発した一言

 

「なんで帰ってきたん!」

 

ほんといろんな気持ちが詰まってたんやと思います

 

そこでぼくはほんの数日
みんなと共に生活しました

 

商店街の今の会長のお店の駐車場
みんなが集まって
家にある食材や物資を持ち寄って
助け合うその姿

 

数日後中国に帰った後も
ずっとそのことを考えてました

 

(このままでほんまええんやろか)

 

中国から帰ってきた僕は
父に自分の気持ちをぶつけました

 

それでもやっぱり
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