「どうしたん?なにかあったん?」
おはようございます、中阪です
この話はもう
20年以上前にさかのぼります
僕が大学を卒業して、
アパレル会社(服を生産する会社)に勤めて
中国の寧波というところに
駐在員として行ってたときのお話しです
その時、僕の役目というのは
現地で品質と生産状況の把握
それを本部に伝えるというものでした
ある朝、いつものように出勤すると
みんなが集まってなにか話してるんです
中には泣いてる子もいました
「どうしたん?なにかあったの?」
宋さんが今朝、事故で亡くなった
話を聞くと
自分の子供をかばって
トラックの下敷きになった
ショックでした
年齢は30前半くらい
美人で明るく、笑顔がチャーミングな
検品の責任者だった宋さんが
なにかお願いすると
「是!(イエッサー!)」と
おどけてテキパキと仕事をこなしてくた
ムードメーカー的な存在だった宋さんが
信じられない・・・みんな同じ気持ちだったと思います
次の日、総経理(社長)のはからいで
お通夜のためにバスを2台だったかな
チャーターして
彼女の故郷にいくとの話を聞きました
「僕も行ってもいいかな?」
総経理は少し驚いた様子でしたが
快く承知してくれました
それから、どれくらいだったろ
舗装されてない道路を
7時間くらいかけて
ガタガタとみんなで最後のお別れをしに行きました
当然周りは中国の人ばかり
僕ひとりだけ日本人で
そこについて行かせてもらいました。
ローカルスタッフのみんなが
状況がわからないだろうと
手を引いてくれたり
説明をしてくれたり
なにかお手伝いできることはと
思ったのですが
「いいから座っとき、来てくれただけで嬉しい」
そんな風に言ってくれて
式場というものはなく
みんなが手作りで祭壇のようなものを
作り上げていきます
夜になってお通夜が始まりました
僕も仲の良かったスタッフが
一緒に行って線香をあげて
やりかたを教えてくれました
それで宋さんと最後のお別れをしました
終わって
何人かで芝生に座ってました
1人の男の子が横で
上、上と指をさしてました
見上げるとそこには
降り注いでくるかのように
圧倒される空一面の星空
感動したのか、
なにか堰き止めてものがはずれちゃったのか
涙が止まりませんでした
気づけば隣の子の手のぬくもりが
熱く背中に感じられました
それから、僕と現地の子の間には
絆のようなものができました
今まで以上に
お互いのことを話したり
理解することもできました
日本に帰った時には
お土産を持っていきました
本部からの無茶なお願いも
「中阪が言うんなら」と
みんなやれるだけのことをしてくれました
その時のことを僕は今でも
よく覚えてます
神戸淡路大震災があって
僕は日本に帰ってきて今こうして
聚鳳にいます
震災がなければ・・・
今は全く違う道を歩いてたかもしれません
でもその時に経験してきたことは今も
僕の中で生かされてます
会社、従業員、得意先、関係先、業者、お客様
いろんな呼び名や関係であっても
結局
話をするのは
接するのは
ぶつかり合うのは
人と人
僕とあなた
いつもそのスタンスで
やっていこうと僕は思います
それでは、いっきますよぉ~~
今日も一日。
はりきっていきましょうーー!!!!