さっきのつづき
小学校に入ると
一年生から
元町まで電車通学
日本で一番危険と言われた
阪神春日野道駅
特急電車の風に
ふきとばされそうになりながら
通っていました
(みんなホームでめっちゃ注意するので
阪神電車一度も事故なかったそうです)
お店が忙しいときには
商店街で
靴屋のおばちゃんのところに行って
相手してもらって飴ちゃんもらって
今思えば営業妨害やね(笑)
そんな感じに
いつもみんなで助け合ってるこの商店街が
私は大好きでした
大学を卒業して、アパレル会社に就職
なんとなく後継ぎは弟という流れで
私は中国で駐在員として働いていました
でもそんな時!あの震災がありました
急いで帰ってきて神戸の惨状を目にしました
でもそれよりも今なお印象にのこってるのは
みんなで食材や家財道具、
家の倉庫を居住スペースに提供したりと
力を合わせて強く生きる
商店街のみんなの姿
「私もこの商店街の一員になりたい」
そう思い、会社を辞め
2年間の修業を経て、
聚鳳の一員になりました
そして今年の2月
父が亡くなって
私が2代目店主となりました
必死のパッチでなんとかやってきて
半年以上がすぎ
今ようやく
ふりむく余裕もでてきた
お店に対する見方
お客様に対する見方
家族に対する見方
周りの人との接し方
自分をとりまく周りの人々
色んな事がガラッと変わりました
それでも聚鳳は今日も
変わらずここにあります
大切な真実
35年という歳月
お客様と共に歩み、いろんな思い
つながりを共に分かち合って
今の私たちというものがあります
平成26年○月○日
開店当初の気持ちで
今日も「いらっしゃい」の声が
聚鳳にこだまします
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