1月17日 午前5時46分
おはようございます、中阪です
今、黙とうを終わって
これを書いてます
この日になると思います
もし、あの震災がなければ
僕は今どこで
なにをしてるんだろう
つい先日。
僕がこの料理の世界に入る前
前職で駐在員をしてた
アパレル会社の同僚から
お便りとそこで作ってる
ユニクロの服が送られてきました。
すごくなつかしくてうれしかった
あれから25年
あの日僕の人生は大きく変わりました
僕が料理人となり
最初に作った想いのこもった焼きそば
あなたにも知ってほしい
僕が焼きそばにかける想いです・・
【質問】中華と言えば何を連想しますか?
八宝菜?酢豚?はたまたフカヒレスープ?
ひとによって様々だと思います
でもうちに来て
僕があなたに食べてほしいのは
焼きそば なんです
「なんで焼きそば!?」
ほかにもメニューいっぱいあるやろうに!
なんでそんな
どこにでもあるようなもんを看板に持ってくるのか?
そこにはこんな思いがあるんです
当時僕はアパレル会社に勤めていました
中国の寧波というところで駐在員として
工場の生産と品質管理をまかされてたんです
一日に何十万枚という商品が出来上がってきて
それを見て回るわけですからまぁ~大変
納期が迫ると夜通しフル稼働するので
こっちも徹夜です
それでも仕事は大変だったけど
とてもやりがいのある仕事でした
1月17日
いつも通り出勤して
いつも通り本社からの電話をうけて
でもこの日にかかってくる電話の内容は
いつも通りじゃありませんでした
「神戸が大変なことになってるぞ」
とは言え、当時そこは中国の片田舎
まだ田んぼ耕すのに水牛が登場してるような場所
日本のテレビなんか映りません
僕が耳にするのは
国際電話で短いやりとりの中
すさまじく増えてくる死者の数
「こらあかん、お前一回帰ってこい」
上司の一言で私は
とにかく日本に帰ることになったのです
会社からいただいた物資を乗せ
大型の車の中ににスクーターを積んで
交通情報を聞きながら
山手から神戸に入る
もうすぐ神戸だというのに
山側ではまだパチンコ屋が開いてました
「なんや別にたいしたことないんかな」
そう思いながらトンネルを抜けた先
広がってた光景は今でも目に焼き付いてます
「これが神戸?これが日本?」
そこから先はもう道路がぐちゃぐちゃで車も通れません
そこでようやくスクーターを積んでた訳が
よくわかりました
変わり果てた街並みを見ながら
到着した我が家
その時に僕をみて母が発した一言
「なんで帰ってきたん!」
ほんといろんな気持ちが詰まってたんやと思います
そこでぼくはほんの数日
みんなと共に生活しました
商店街の北側、
古本屋さんがあるお店の駐車場
そこにみんなで集まって
家にある食材や物資を持ち寄って
助け合うその姿
数日後中国に帰った後も
ずっとそのことを考えてました
(このままでほんまええんやろか)
中国から帰ってきた僕は
父に自分の気持ちをぶつけました